荒野を歩くというフレーズが好きだ。
新しい困難に立ち会う時、一人で何か始めないといけない時、そういうふうに自己を捉えている。好きな曲にもそういうフレーズが出てくるので、お気に入りだ。
ただ個人的な統計では、荒野を歩く、という行為は実は気持ちがしっかりとできないまま、迎えることになるようだ。
4/2 深夜。朝から部活にお邪魔しようと思うも、練習試合のため稽古はないと知った。仕方ないと思いつつも、もう一つ、自分の防具を牧田の家に持っていくという別の目的があったので七徳堂に向かうことにした。
ゆっくり起きた後、支度をして寮を出る。少し歩いて急な坂をグッと下れば三鷹台駅が見える。駅からわずか二駅の井の頭線終点の吉祥寺駅行きの電車に乗る。日曜日だから子連れも多い。まるで夜との寒暖差が激しい毎日の中、春の陽気に誘われて出てきた眠い虫のようだ。
吉祥寺駅から華麗に中央線に乗り換えると(井の頭線から東京駅行き中央線快速に乗るまでに実に2,3分しかないのだけどその乗り換えにも慣れてきた。)、お茶の水に向かう。電車の中でツイッターやインスタグラムを見ていると、もちろん同年代の就職する奴らが多いから、卒業式の振り返りをする者から、引っ越しで上京する者、新生活に怯える者まで悲喜交々と騒ぎあっている。
かくいう僕は、不思議と落ち着いていた。新しいキャリア、それもおそらくウン10年と勤めるはずの会社に入ったワケなので興奮してもおかしくないのだけど。物理的にも引越しをし、大学から会社に内容や形式も大きく変わっているのに、心はとても平静を保っていた。
...のように思えたが、違うのかもしれない。
むしろ、かなり期待と不安に駆られて興奮していて、それを抑えるべく落ち着きが表出しているのかもしれない、ということだ。そしてそのようなきめ細かな感情のフィードバック現象を感知できない「全体の自分」が存在している。
時間に押し流されて荒野を歩き始めてしまったようだ。だから気づかない。
12時少し過ぎてお茶の水に着いて、歩いて七徳堂に向かう。到着したがアクシデント発生。
鍵が開けられなかった。
困った挙句、全体に鍵について確認し、助けを求めた。嫌な先輩だなと思いつつ仕方ない。けどどうしよう。
しばらく格闘した後、あきおが別の用事で13時に道場に着くので対応しますとラインをくれた。ありがたかった。
あきおが到着してすぐに開けてくれた。ありがとう。
本当は、鍵のケースが逆を向いていて、いつもと勝手が違う風に勘違いしていたらしかった。
僕は情けなさと有り難さから、あきおに500円をあげた。ほんの気持ちだと伝えて。なぜかもう自分は四年生じゃないんだなと強く意識した。
道場の去り際、あきおに「社会人頑張ってください」とエールを送られた。
僕はありがとう、と言って去った。
こうして僕は、荒野を歩き始めていることをやっと理解できた気がする。
そこから、牧田の家に行き荷物を置いた後、昼ごはんを作ってくれたので一緒に食べた。美味しかった。
夕方までゆっくりした後は寮に帰って、明日の用意をした。
これから風呂を浴びようと思う。
明日は早い。すぐ寝よう。